こんにちはネルです!
今回は、「【言葉の限界】事実を”完璧で公平に”言葉で表すことは不可能」というテーマで話をまとめていきます!
参考にした本は、香西 秀信『論より詭弁 反論理的思考のすすめ』です!
- 事実を言葉で表現すると、そこには必ず”順序”が生じる
- その順序によって言葉には語り手の意図が含まれてしまう
- 「自分は常にフラットな発言をしている」という錯覚には気をつけよう!
それでは、順番にポイントをまとめていきます!
「言葉の限界」:事実を公平に言葉で表すことは不可能
わたしたちが住む現実世界は、同じ時間内あれば”すべての事実が同時に存在”していますよね。
たとえば、目の前にある机や、椅子や本棚は同時に存在しており、それらが何らかの順序を持って並んでいるわけではありません。
しかし、今回のように事実を「言葉」で表現すると、「机→椅子→本棚」のように、必ず順序ができてしまうんですね。
このように、本当は同時に順序なく存在している事実を、言葉で公平に表すことは不可能なんです!
要するに、言葉によって何かを表現するとは、本来順序のついていないものに勝手に順序をつけて並べることである。
引用:『論より詭弁 反論理的思考のすすめ』
これが、タイトルにつけた「言葉の限界」という由来です。
男女か女男か
言葉が勝手に生み出してしまう順序として、わかりやすい例が「男女」という表現についてです。
たとえば、女性解放主義者が「”男女”という言葉は男性が先に来ていて差別的表現だ!これからは”女男”とすべき」と言ったとします。
しかし、”女男”とした場合は、女性が言葉の先に来てしまい、結局逆に不平等さが生まれてしまうんですね。
また、日本では韓国との関係について「日韓」と読んでいますが、韓国ではあっちの言葉で「韓日」と表現するそうです。
つまり、言葉を使うことで必然的に順序が生まれてしまい、完全に公平で中立的な表現はできないんです!
言葉には必ず話し手の意図が入ることが問題
これまで述べたように、「言葉で表現すると勝手に順序が生まれる」ということは、それほど問題ではない、と著者は言います。
では本当の問題は何なのか。それは、「言葉には語り手の意図が必ず含まれてしまう」ということです!
たとえば、以下の例を見てみてください。
大学の教授が生徒の論文を評価している場面を想像してください。
- B君の論文は独創的だが、論証に難点がある。
- B君の論文は論証に難点があるが、独創的だ。
2つとも同じことを言っているはずですよね。
しかし、これらを比べて気づいたと思いますが、言葉の順序を入れ替えるだけで相手に伝わる印象はガラッと変わるんです!
最後に持ってくる言葉の印象
先程の例では、①では教授は独創性を認めつつも、論証に難点があり、”彼の論文をあまり評価していない”という印象が伝わりますよね。
その一方で、②では、論証に誤りはあっても、”独創的だという点で彼の論文を高く評価している”という印象が伝わるのではないでしょうか。
事実としては全く同じことを言っていても、言葉の順序を入れ替えるだけで相手に伝わる印象が大きく変わるという意味をつかんでいただけたでしょうか。
そして、この印象は特に「最後にどういう言葉を持ってくるか」に大きな影響を受けるんですね。
語りては往々にして、無意識であっても自分が本当に主張したい内容を最後に持ってきて、相手にその内容を刻み込もうとします。
言葉で公平に表現できているという錯覚に気をつけよう
ここまでで、「事実を言葉にすることで、必ずそこには順序が生じてしまい、そこには語り手の意図が入る」ということをまとめてきました。
このように見ていくと、「自分は、常に公平で中立的な立場を取って発言しているので、受け手がどう捉えるかという点が大事だ」という考え方は非常に危険なものなんですね。
どれほど自分は”フラット”に発言しているつもりでも、「言葉の限界」からは逃れられない。
よって、元々は含むつもりもなかった意味が、相手に強い影響を与えてしまうんです。
このように考えていくと、「言葉で表現するのには限界がある。それを知った上で、相手に誤解を与えないように注意をしながら発言しよう」という態度こそが、一番健全ものであるんですね!
まとめ
今回は、『論より詭弁 反論理的思考のすすめ』より、「【言葉の限界】事実を”完璧で公平に”言葉で表すことは不可能」というテーマで話をまとめていきました!
「言葉には必然的に順序が生まれてしまう」ということだけでもぜひ覚えておきたいですね!
- 事実を言葉で表現すると、そこには必ず”順序”が生じる
- その順序によって言葉には語り手の意図が含まれてしまう
- 「自分は常にフラットな発言をしている」という錯覚には気をつけよう!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!