こんにちはネルです!
今回は、「お金が汚いものと捉えるのはサムライの名残!」というテーマで話をまとめていきます!
参考にした本は、糸井重里・邱永漢『お金をちゃんと考えることから逃げまわっていたぼくらへ』です。
- 「お金=汚い」と捉えるのは日本だけ
- ”サムライ魂”がお金の捉え方に影響している
- 「楽してお金を儲けたい」気持ちは自然なもの
それでは、順番にポイントをまとめていきます!
お金を”汚いもの”と捉えるのは信仰上の理由
「お金を強く求めることは恥ずかしいことです!」
小さい頃から、大人たちにこう教えられてきた人は多いと思います。
この「汚さ」というのは、「人の手が沢山触れてきたものだから、(物理的に)汚れている」という意味で語られることありますが、人の手でベタベタ触られるものはお金以外にも沢山ありますよね。
階段の手すり、建物のドアノブ、自販機のボタン・・・。
よほどの綺麗好きでもない限り、こういったものを「汚いものだからなるべく触らないべき」とは考えないと思います。
そう考えていくと、お金の汚さというのは衛生上の理由ではなく、「信仰上の」理由だと考えられるわけです!
「お金=汚い」とするのは日本だけ
そして、著者の邱さんが言うには、中国にはお金を汚いとする風習はまったくないのだそうです。
というよりも、そのようにお金を捉えるのは日本だけだと言われています!
たとえばアメリカなどではむしろ、大きく稼いだ人が称賛されるような空気感がありますよね。
一方で、日本では「自分が生きているのはお金のためではない」とするのを”美徳”とする空気があります。
お金を求めていないことが、その人の徳の高さを表しているようになっているんですよね。
それでは、なぜ日本だけこのようにお金を捉えるようになったのでしょうか。
サムライの時代の名残が影響している
お金を汚いものとする日本の風習はどこから来たのか。
それに対する答えを『お金をちゃんと考えることから逃げまわっていたぼくらへ』より引用します。
それはどこからきてるかというと、やっぱり、宮仕えからきていると思います。サムライとして殿様に仕えるのは、決してお金のために仕えているんではないというか……。そういう秩序の中で育っているからだと思います。
(本文引用)
つまり、サムライの時代が影響しているという説があるのです。
「武士道」として有名なサムライの心では、殿様に命を捧げる気持ちで仕えることが当然のこととされていました。
決して生きるため、給料をもらうために仕えていたわけではないんです。
こういったサムライの時代の名残から、日本では「お金のために行動することは人として恥ずかしいこと」という捉え方が現在にまで定着しているというわけなんですね!
もちろん、この話は1つの説であり、絶対的な正解では決してありません。
しかし、「なぜ日本だけお金を汚らしく扱うのか」という点を考える上で、非常に有力な視点なのではないでしょうか。
お金ときちんと向き合うことが豊かに暮らすコツ
ここまでまとめてきたように、サムライ時代の名残から「お金=汚い」と捉える日本独自の考え方が形成されてきたわけです。
しかし、現代ではこの考えを頑なに固持していては、損をする場面の方が多いと感じています。
「楽してお金を稼ぎたい」
この視点は、日本で育ってきたぼくらには卑しいものに聞こえますよね・・・。
しかし冷静に考えてみると、「楽してお金が得られるようになる」というのは理想の状態だと言えるはずです。
誰だって、家でゲームしている間にお金が入ってきたら、そりゃ嬉しいですよね(笑)
お金の本で非常に有名な『金持ち父さん貧乏父さん』でも、「不労所得」を得る大切さが語られていましたが、この根っこにあるのは「お金をいかに楽して稼ぐか」という視点からです!
お金を上手に稼ぐ方法をしっかりと身に着けていったほうが、人生を豊かに暮らせるようになることは間違いないはずですよね。
「お金は汚いものだ」と退けるのではなく、本のタイトルにもあるように「お金をちゃんと考える」習慣を身に着けていきたいですね!
まとめ
今回は、『お金をちゃんと考えることから逃げまわっていたぼくらへ』より、「お金が汚いものと捉えるのはサムライの名残!」というテーマで話をまとめていきました!
サムライ時代から残る日本独自の文化だとしても、良い面・悪い面をしっかりと見定めていきたいですね!
- 「お金=汚い」と捉えるのは日本だけ
- ”サムライ魂”がお金の捉え方に影響している
- 「楽してお金を儲けたい」気持ちは自然なもの
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!