こんにちはネルです!
今回は「難しい本を読み切るのに必要な能力は読解力よりも『忠誠心』」というテーマで話をまとめていきます。
参考にした本は、内田樹『ためらいの倫理学』です。
- 難しい本を最後まで読むコツを知りたい
- 「分からない」文章に耐える秘訣を考えたい
- なぜ思想家は難解な表現を使いたがるのか気になる
それでは、ポイントをまとめていきます!
難しい本を読み切るのに必要な能力は「忠誠心」
皆さんの中でも、本屋に行ってふと難しそうな本に挑戦してみようとし、すぐに挫折しまった経験のある人は多いと思います。
こういったとき、「自分は読解力がないのか」とショックを受けてしまうこともあるかもしれません。
しかし、実は難しい本を読み切るのに必要な能力は読解力ではなく、「忠誠心」にあるというんです!
知識よりも信仰心が重要
特に、過去の偉大な思想家が書いた本は抜群に難易度が高いですよね。
そういった難解な本を読み切るのに必要なのは、長期にわたる集中的な読書になります。
そもそも思想家は、”あえて”もったいぶった表現を使って文章を書くことも多いのです。
なぜそんなことをするのか。
それは、「誰でも簡単にわかることを書いてしまっては、思想家としての立場がなくなってしまうから」だと想像できます。
こういった事情から、多くの思想家は一言で言えることをとても難しい表現を多用している場合が多いのです。
すると、読者にとっては生半可な覚悟では理解ができず、ましてや読み切ることは不可能になります。
そのため、「この文章はわからないけども、この人の本を頑張って読み進めれば何か得られるはずだ」という、「信仰心」が重要になるというわけなんです!
「分からない」というのは、知識への欲望がある証拠
そして大切なこととして、「分からないという気持ちは、知識への欲望がある証拠」と言えるのです!
分からないと感じるからこそ、人一倍文章と真剣に向き合うことになり、たとえもったいぶった表現からでも多くのことを学ぶことができるようになりますよね。
一方で、「この文章は結局こういうこと言っているだけだな」という態度で、難解な本を理解できたつもりになっていては、学びの総量は大きく減少してしまう恐れがあるのです。
「分からない」というのは敗北の宣言ではなく、「智者への欲望」が起動したことの徴である。それこそは読者の知的なブレークスルーの予兆なのである。だから、「分からない」ということは少しも恥ずかしいことではない。むしろその慎ましさこそが偉大な思想家に対する敬意の表明なのである。
(本文引用)
著者は、「分からない」という慎ましさこそが、「思想家に対する敬意の表明」と言っているのです。
難解な本は分からないことを前提に謙虚に向き合うべき
以上をまとめると、難解な本は分からないことが当たり前なんです。
むしろ、「分からない」という謙虚な感情があるからこそ、文章に真摯に向き合い、考え抜くことができるというわけなんですね。
そして、難しい表現から何か一つでも知識を学び取ろうという知的な態度を取ることで、通常の本では味わえないような「深い思考」を体験することができるのです。
まとめ
今回は、『ためらいの倫理学』より、「難しい本を読み切るのに必要な能力は読解力よりも『忠誠心』」というテーマで話をまとめていきました。
難しい本に出会ったとき、「全然わからない。まだ自分には読解力が足りないのか・・・と落ち込むのではなく、「分からないなりに、この文章から何かを学び取ってやろう」という態度を取ることが、思想家の文章に対する正しい向き合い方なんですね!
- 「分からない」という感情はむしろ健全な態度である証拠
- 思想家の文章はあえて難解な表現を使うことも多い
- 何か一つだけでも学び取ってやろうという意識が成長するポイントになる
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!