こんにちはネルです!
今回は、「学校教育の問題点は、”生産性が低い”こと」というテーマで話をまとめていきます!
参考にした本は、ちきりん著『自分の時間を取り戻そう』です。
- 学校教育は「生産性=コスパ」が悪いのが問題
- 「学校教育も一定の価値はある」という反論は論点がずれている
- 価値の良し悪しではなく、生産性という観点から議論する癖をつけよう!
それでは、順番にポイントをまとめていきます!
【目次】
学校教育の問題点は生産性が低いこと
現在の学校教育について、社会はブロガーとして活躍する「ちきりんさん」は以下のことを指摘しています。
学校教育は生産性が低いことが問題である。
ここでいう生産性とは、言い換えると「コストパフォーマンス」とも言えます!
つまり、「お金や時間の使用量に対して、得られる対価がどれくらいあるか」ということが、生産性という意味になります。
そして、「学校教育は生産性が低い」=「学校に払うお金や授業を受ける莫大な時間に対して、学校から学べることは少ない」ということなんです!
たしかに、小中高合わせて12年間、大学まで行くと16年間というとてつもない期間勉強をし続けることになります。
しかし、果たしてそれだけの価値を得られているのか、怪しいところはありますよね。
「生産性」という観点からずれた反論に注意する
上の話を聞いて、一部の人は納得ができると思います。
しかし、以下のような反論を述べる人が多いのも事実なんです。
- 「とはいっても、学校教育にも価値はあるはずだ」
- 「自分も学校で学んできたことが社会に出て実際に役に立っている」
この反論を聞くと一見正しい意見のようにも聞こえますが、よく考えてみると、論点がずれている典型的な反論になっています。
価値はゼロより上である≠生産性が高い
上記の反論は言い換えると、「学校教育の価値はゼロより上である」と言っていますよね。
少なくとも価値は確実にあるから今の学校教育は正しいと。
しかし、ちきりんさんの主張「学校教育は生産性が低い」というのも、「学校教育の価値はゼロより上である」ことは認めている点に注意しなければなりません!
価値はゼロより上であっても、「その価値を得るために必要なお金や時間があまりにも多い」からこそ、現行の学校教育法は誤っているのではないか?と問題視しているのです。
つまり、ちきりんさんは「生産性=コストパフォーマンス」という観点から主張しているにも関わらず、反論者は「価値がゼロ以上かゼロ以下か」という点から意見を出しているため、論点がずれているというわけなんですね!
政府の公共事業も生産性を意識すべき
この生産性という見方はどのような場面でも非常に重要な考え方です!
本書では、生産性を用いた主張として、「政府の公共事業」について言及しています。
最近では都市と地方の環境格差が問題になっていますよね。
そしてここでよく論点になるのが、「都会と地方の差をなくす」という点です。
その差をなくすためにも、「高速道路や新幹線を地方にも作るべきだ」という主張もよく聞きます。
しかし、この主張に対して「生産性」という観点を用いると、本当にその主張は正しいかどうか、考え直す必要が出てくるのです!
「高速や新幹線を作ることが一番生産性の高いことなのか?」と問う
ここで問い直すべきなのが、「地方に高速道路や新幹線を作ることが、一番生産性の高いことなの?」ということなんです!
たしかに、地方に高速道路ができれば車の通行量が増え、その地域にプラスの経済効果がもたらされることになるでしょう。
この点だけを見て、一部の人は「プラスの経済効果があるから、この地域にも高速道路を作るべきだ!」と主張していますよね。
しかし、あまり通行量が見込めない地域に高速道路を作っても、建設費をすべて回収しきれない可能性もあるわけです。つまり赤字のリスクもあります。
そこで、「少ない資金で、もっと地域を活性化する方法はないか?」と考えるのが正しい姿だと言えます。
このように価値の絶対量で善し悪しを語る人と、生産性の高低でその是非を判断する人が混在しているため、両者の意見はまったく噛み合わないのです。
(本文引用)
国の方針についての論争でもこういった誤りが頻繁に見られます。
価値の良し悪しではなく、生産性という観点から適切な議論ができるよう注意していきたいですよね!
まとめ
今回は、『自分の時間を取り戻そう』より、「学校教育の問題点は、”生産性が低い”こと」というテーマで話をまとめていきました!
- 学校教育は「生産性=コスパ」が悪いのが問題
- 「学校教育も一定の価値はある」という反論は論点がずれている
- 価値の良し悪しではなく、生産性という観点から議論する癖をつけよう!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!