哲学者”カント”の「人間はモノ自体には到達できない」から考える主観的な世界について

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こんにちはネルです!

今回は、「哲学者”カント”の『モノ自体』から考える主観的な世界について」というテーマで話をまとめていきます!

参考にした本は、飲茶『史上最強の哲学入門』です。

ヒヨコ
初心者向けにカントの哲学の紹介と、そこから「人それぞれが見る主観的な世界」についてまとめていきます!

 

この記事のポイント
  • 生物によって見えている世界は全く別物
  • つまり人間も「人間が感じている世界」しか分析ができない
  • 「自分が見えている世界が全てではない」という意識が大切なのかもしれない

それでは、順番にポイントをまとめていきます!

 

哲学者カント「人間はモノ自体には到達できない」

古代から、多くの哲学者たちは、「この世の真理」について度重なる意見を戦わせてきました。

そんな中18世紀のドイツの哲学者カントは、以下の結論に達したと言います。

「人間はモノ自体には到達できない。よって、人間は本当の世界を知ることはできないのだ」

ここでいう、「モノ自体」とは、人間も含めた生物がそれぞれ知覚する前の「本当の世界」の「モノ」のことです!

ヒヨコ
いやいや、ちょっと何言っているんすか!?(笑)

 

今回挙げた書籍『史上最強の哲学入門』を元に、上記の考え方について解説していきますね!

 

生物によって世界の姿は全く違う

私達は、「空」「大地」「人」など様々なモノを見て、それがまるで、「疑いなく世界に存在しているもの」だと考えていますよね。

しかし、こういったモノを人が知覚する時は、人の「目」や「触感」「匂い」など「人が持つ固有の感覚器官を経て体験したもの」であると言えます。

これはつまり、人と違う感覚器官を持った生物ならば、また世界は違ったように写っていると言えるのです!

 

たとえば、本書で紹介されていた「イソギンチャクのような生物」を例に挙げて考えます。

この生物は海底にいて自らは動けず、上に開けた口に落ちてきたモノを食べて生活しているものとします。

このとき、この生物はただ、自分の口に入ってきたものが「食べられるものか・食べられないものか」という判別しかしません。

そうなると、人間のように3次元で世界を捉えてはいないことになります。

つまり、このイソギンチャクのような生物にとっての世界は、人間よりももっと単純なものであり、彼らが感じる世界は私達の知る世界とは全く別物であると言えるのです!

 

同様にコウモリなど”超音波”で周囲を把握できる生物も、人が見えない「死角」も把握できていることになり、彼らは人とは全く違う世界を体感していることになります。

 

このように、「生物によって世界は全く違うもの」だという事実があるわけなんです!

ヒヨコ
人間は「私達が見えているモノこそがありのままの世界だ」と思ってしまいがちですが、それは「人の感覚器官」というフィルターを通したものに過ぎないんですね・・・!

 

どれだけ頑張っても”人間にとっての”世界しか分析ができない

結局、生物にとって見えている世界が違うのならば、人がどれだけ頑張ってこの世界の真理に到達しようとしても、それはあくまで「人間にとっての」真理という範囲に収まってしまうのです。

 

これまでは、多くの哲学者たちが「真理はどこかに存在するはずだ!」と人生をかけて思考を巡らせていた一方で、カントはこのような考えを打ち出したことが画期的だったわけなんです。

これは、「真理とは人間の上位の存在であり、生きとし生けるものをあまねく貫く普遍的なものである」という今までの常識を覆す考え方であった。つまり、カントは、真理と人間の立場を逆転させてしまったのである。

(本文引用)

このカントの新しい発想のことを「カントによる真理の”コペルニクス的転回”」とも呼ぶそうです!

ヒヨコ
人がどれだけ素晴らしい発見をしたと思っても、それは「人が感じている世界」という限定した範囲のものに過ぎない、とも言えるのです・・・!

 

一人ひとりが捉える世界も”主観的なもの”に過ぎない

ここまでで、「人間がどれだけ真理を追い求めても、それは”人間が感じられる世界”の真理に過ぎない」というなんとも冷静なカントの意見についてまとめていきました。

 

ここから感じたのは、「人間一人一人も、それぞれが感じる世界は違うのではないか」ということです。

人は持って生まれた身体的な差や物事の捉え方など、様々な違いがありますよね。

ただ「遠くのモノが人よりも見える」という目に見える違いもありますが、「他人の感情にとても敏感」であるとか、「生まれつきポジティブに物事を捉える性格」といった違いもあります。

 

このように人は様々な違いを持っている分、世界自体の捉え方も大きく異なっているとも考えられるのではないでしょうか。

  • 「どうしてあいつはいつも、あんな風に物事を悲観的に捉えるのだろう」
  • 「なんでみんなは、あれだけ大人数の中でも堂々としてられるのだろう」

これらは「人が感じている”主観的な世界”には一人ひとり非常に大きな違いがある」とも考えられるわけなんです!

 

カントが言った「人間が感じる世界」と同じように、「人それぞれが感じる世界」もまた違ったものであるとも言えるのではないか、という話でした!

ヒヨコ
「自分が見えている・感じている世界が全てではない」という意識を持つことが大切なのかもしれないですね!

 

まとめ

今回は、『史上最強の哲学入門』より、「哲学者”カント”の『モノ自体』から考える主観的な世界について」というテーマで話をまとめていきました!

人間という種に生まれた以上、「人間が感じることができる世界」しか見ることができない、というのはなんとも哲学的な考えで面白いですよね!

 

この記事のまとめ
  • 生物によって見えている世界は全く別物
  • つまり人間も「人間が感じている世界」しか分析ができない
  • 「自分が見えている世界が全てではない」という意識が大切なのかもしれない

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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