これまで、人は「読むこと」が先であり、その応用として「書くこと」が行われてきた。
逆に言えば、「書くため」に読んできた。
しかし今は状況が変わった。
SNSよって「書くこと」が簡単になり、その結果「書くこと」ばかりが優先され、「読むこと」がなくなってきた。
・・・と、そういう文章を読んで、とてもビビッときたので、自分の思いを入れてまとめてみます!
インプットがなければ”枯れる”
ネットがない時代、自分が書いた文章を大勢に読んでもらうことは非常に困難だったわけですよね、、。
せいぜい、「雑誌のコラム」などに応募するか、「本」を出版するか。
いずれにしても、”自分の頭でよく考えて”有益な情報発言している人にしか、「発言権」すら与えられていなかった、とも言えます。
しかし、今はその状況は大きく変わりました。
まず、ブログができて誰もが自分の考えを世に発信できるようになり、更にはTwitterやFacebookによって、驚くほど簡単にサクサク情報発信ができるようになったわけです。
しかも、無料で!
そういったことから、人は自分が書いた文章で誰かが反応してくれる楽しさを覚えたわけです。
自分自身、このブログを立ち上げたおかげで、こうやって好きに発信できるし、アクセスの上下や読者の反応があったりする楽しさを味わえて、とても良い時代になったとつくづく感じています。
でも、この本『遅いインターネット』ではこう言います。
「みんな読むことはしない割に、書くことばかりする。そんなもの、発言が浅いに決まっているよ。」
個人的な解釈を入れていますが、要はこういうことだと感じました。
たしかに、インプットがないのに一方的にアウトプットばかりしている。
よく有識者たちはこういう場合に、「インプットがないと”枯れる”」という表現をしますが、これが実際に世界中の人に対して起こっている事象なわけです。
他人の発言に流されているだけの大多数
じゃあ、書くこと・アウトプットばかりしている我々は、一体どこから意見・発言をひねり出しているのか。
本来は存在するはずの「書くためのインプット」が不足している中で、そういった疑問が浮かびますよね。
それに対する答えは、「他の人の発言」というわけです。
つまり、頭の良い人や、もしくはテレビなどに出ている有名人たちが発言していたことに対して、「そのとおり。自分もまさにそう思っていた。」と脊髄反射のように反応している。
それを当の本人は、自分が考えた意見だと勘違いをしているんですね。
ただ、たしかに思うことは、世の中の政治などのニュースに対して周りの人の意見を聞くと、テレビのコメンテーターの発言や新聞などに書かれていた情報を、さも自分が思いついたことのように語る人が非常に多い。
これについては、個人的に非常に違和感を覚えていました。
そして、「自分は、ネットの情報なんかに流されているわけではなく、自分の頭で考えている。」と大きな勘違いをしているパターンがとても多いんですね。
「〇〇の状況だから、こうなるのは当たり前だよね。」という発言に対して、「それは何でそう思うの?例えば、B国では同じような背景なのに、うまくいっているよ。」といった返しを仮にしたとして、果たしてどれくらいの人がしっかりと返せるでしょうか。
もともと、自分自身でよく考えている人には、こういう質問をされても動じないでしょう。
しかし、マスメディア等の意見を鵜呑みにしている場合、感情的に反論するか、何も言えなくなるのではないでしょうか。
こういった、「特に自分の頭で深く考えずに、情報発信をする人」が増えているのは、SNS・ネットが普及した現代だからこその問題だというわけです。
インプットを基軸にする
だからと言って、安易に書くことなんてするな、とか言いたいわけではもちろんありません。
そんなこと言ったら、このブログを書いている自分への攻撃になってしまいます笑
書くこと・情報発信はあくまで楽しんでいたとしても、その背景にはきちんとしたインプット・情報の”正しい”収集が必要になるわけです。
私自身、このブログにおいて、「毎日更新」なるものに、半年間継続して取り組んだこともあります。
とにかくアウトプットという方針で、毎日文章を書きなぐったわけです。
それまでは、読書によるインプットばかりだったので、アウトプット重視に切り替えたわけですね。
ですが、たいしたインプットの蓄えもない状態で、そんなアウトプットを出し続けようとしたってやはり無理がくるんですね。
今見ても、文章が薄いものがどんどん量産されるだけでした。
この苦い経験を経て思うのは、「インプット:アウトプット=10:1」ぐらいが、やはり適切なんじゃないかということ。
良質なアウトプットは、インプットした情報の中からエッセンスを抜き出し、自分の言葉で改めて再定義することから生まれるんです。
今回は、この本を読んでそう思い直しました、、!
この本は、結構読むのにヘビーではありました、、。
著者の深い考え方を聞くような本でしたので、読了には多少の根気が必要だと思います。
今回の話を少しでも気に入ってくださった方は、ぜひ読んでみてください!