こんにちはネルです!
今回は、「【狩猟家の言い返し】楽しみのために動物を殺生することはいけないことなのか?」というテーマで話をまとめていきます!
参考にした本は、香西 秀信『論より詭弁 反論理的思考のすすめ』です!
- 「狩猟家の言い返し」は「お前も同じ型」の議論
- たとえ自分が相手と同じ立場であっても、本来はダメなものはダメと言える
- 巧みな議論逃れには適切な対応をすべき
それでは、順番にポイントをまとめていきます!
「狩猟家の言い返し」とは
まずは、この記事の主題である「狩猟家の言い返し」という話を紹介します!
一人の狩猟家が、ある人から以下のように説教されたそうです。
「そんな風に自分の楽しみのために動物を殺生することはおやめなさい。」
これに対して狩猟家は言い返します。
「あんただって、肉を食べているじゃないか。」
肉を食べる事自体も自分の楽しみのためと言える
「肉を食べるのは生きるため。決してあなたのように楽しむために動物を殺しているのではない」
こう反論すれば、問題ないように感じますよね。
しかし、よく考えてみると、肉を食べなくても人は全く問題なく生きていくことができる、という点がポイントになるんです!
タンパク質は大豆などからも十分に取ることができますし、現に菜食主義者の人達はいくらでもいる、という事実もあります。
それなのに肉を食べるのはそれが美味しいからであり、結局のところそれは、「肉を食べることは自分の食事の楽しみを増やす行為」であるとも取れるわけなんです!
こういった、狩猟家を説教しようとして人が逆に言いくるめられてしまう話を「狩猟家の言い返し」というんです!
「お前も同じ型」の議論
上の例のように、相手に攻められた人が「お前だって、同じようなことをしているじゃないか」と責め返すことを本書では「お前も同じ型の議論」と定義しています。
他には一例として、「くわえタバコ」を注意する場面が取り上げられています。
くわえタバコをしながら、同じようにくわえタバコをしている人を注意したときに以下のように返されるわけです。
「てめえだって、タバコをくわえて歩いているじゃないか!」
こんなような例は身近でもよく見られますよね。
しかし、ここで肝心なのが、説教した人の立場がどうであっても、「くわえタバコをしてはいけない」という事実は疑いなく正しいものであるということなんです。
私が咥え煙草で歩いていたという事実およびそれが悪であるという評価は、その男もまた咥え煙草で歩いていたかどうかとは「関係なく」成り立つ。相手もまた咥え煙草で歩いていたという事実は、私が咥え煙草で道を歩いていた事実を帳消しにはしない。
引用:『論より詭弁 反論理的思考のすすめ』
このように、「相手も同じ立場だから自分を責めることができない」つまり、「お前も同じ型の議論」は、責任を逃れるためによくなされます。
しかし、「ダメなものはダメ。相手も確かに悪いけど、同様に自分も悪い」ということを認めなければいけないんですね。
議論を避けるための巧みな言い逃れに注意
先程の「くわえタバコ」の例のように、「お前も同じ」という話に持ち込まれた場合はどうすればよいのでしょうか。
対策の一つして、とても単純ではありますが、「すぐに自分はその行為をやめる」ということが有効になるんです。
私に期待される論理的行動は、恥じ入って慌てて煙草を消し、それを携帯用の灰皿に収めることだ。そうしてこそ、初めてこちらも、その男に対して、「あなたも、咥え煙草で道を歩いてはいけません」と注意し返すことができるのである。
相手は議論を逃れるために、巧みな言葉で論点をすり替えてくることも多々あります。
このように「お前も同じ型」の議論に持ち込まれた場合、可能であれば自分もその行動をやめたうえで、相手を注意するというのが確実に有効な方法となるんです!
まとめ
今回は、『論より詭弁 反論理的思考のすすめ』より、「【狩猟家の言い返し】楽しみのために動物を殺生することはいけないことなのか?」というテーマで話をまとめていきました!
最初に「狩猟家の言い返し」を読んだとき、「確かに・・・。それを言われたらすぐには何も言い返せない」と思いました(笑)
議論好きの人には強くおすすめする本です!
- 「狩猟家の言い返し」は「お前も同じ型」の議論
- たとえ自分が相手と同じ立場であっても、本来はダメなものはダメと言える
- 巧みな議論逃れには適切な対応をすべき
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!