こんにちはネルです!
今回は、「「〇〇の神様」という表現は海外では使わない!?「八百万の神」について」というテーマで話をまとめていきます!
参考にした本は、さとうもえ・柴田柚香 『まんがで学ぶ 世界の宗教』です!
- 日本は何にでも神が宿る「八百万の神」を信じる珍しい人種
- 「私は無宗教です」という発言は外国人にはNG
- お互いの信仰する宗教に敬意を払うことが円滑なコミュニケーションには重要
それでは、順番にポイントをまとめていきます!
「〇〇の神様」という表現について
日本人はよく、「野球の神様」「店員の神対応」「彼の技術は神業だ」などといった表現を使いますよね。
単純にとても優れた人や技術のことを指して「神様」という表現を用いていると思います。
しかし、この表現はキリスト教、イスラム教では全く見られないことなのだそうです!
むしろ、彼らからしたら、これだけ当たり前のように人のことを神様と呼ぶ態度が信じられないそうなんです・・・!
では、なぜ日本にはこのように「〇〇の神様」という表現を平気で使う文化があるのでしょうか。
日本は八百万の神を信じる
日本には「八百万の神」という言葉があります。
「やおよろずのかみ」と呼ぶのですが、これは、ありとあらゆるものに神様が宿っているという考え方のことです。
これに比べてキリスト教やイスラム教は「一神教」。
つまり、たった一人の神様しか信じず、それ以外を神様と呼ぶのは信じられないというわけなんです。
なぜ日本は多神教を信じるのか?
では、なぜ日本人は一神教ではなく、多神教を信仰するようになったのでしょうか。
ここで本文より引用します。
日本は水源が豊富で水不足に悩まされることもないし、お米もとれるし海にいけば魚だってとれる。
美しい四季や自然がいつもそばにある。だからさまざまなものには神様が宿っている。
この生活がいつまでも続くように神様に感謝しようって考えるようになったんじゃないかな。
引用:『まんがで学ぶ 世界の宗教』
つまり、外国と比べても日本は圧倒的に自然が豊かで、日本人はそういった一つ一つの自然に対して色々な神様が宿っている、と考えるようになったのだと言います。
イスラム教は「砂漠の宗教」とも呼ばれる
一方で、イスラム教は「砂漠の宗教」とも呼ばれています。
イスラム教が生まれたアラブ諸国は大半が砂漠であり、水もなければ植物も育たない。
こういった厳しい環境の中で唯一神「アッラー」に服従を誓えば、最後の審判の日に天国に行ける、と心のよりどころとしてイスラム教を信仰していたわけなんです。
このように、
- 日本:自然が豊かであり、それぞれに一人ひとりの神様が宿っていると考えた
- アラブ諸国:砂漠が広がる厳しい環境。唯一絶対神が自分たちを導いてくれると考えた
という違いが生まれたわけなんです。
「私は無宗教です」という表現はNG
また、日本人がやりがちなのが「私は無宗教です」という発言です。
しかし、これは外国人に対してはNG発言だというのです!
なぜなら、「私は無宗教です」とは、”神様の存在を否定している”と捉えられるから。
特に唯一絶対神を進行するキリスト教やイスラム教からしたら、これは自分が否定されている気分にさえなるのだと言います。
この場合、
- 「私はブッディスト(仏教のこと)です」
- 「神様がいるかどうか、よくわかりません」
のように答えることが無難だと言います。
日本人は「八百万の神」を信じるように、神様が絶対的なものという捉え方はほとんどしません。
すると、つい「自分は神様なんて非科学的なものは信じない!」と言ってしまいがちです。
しかし、自分とは異なる宗教を信じている人との会話にはある程度気をつかうことが重要なんですね!
まとめ
今回は、『まんがで学ぶ 世界の宗教』より、「「〇〇の神様」という表現は海外では使わない!?「八百万の神」について」というテーマで話をまとめていきました!
宗教の違いを知ることで、外国人とのコミュニケーションもより円滑にしていきたいですね!
- 日本は何にでも神が宿る「八百万の神」を信じる珍しい人種
- 「私は無宗教です」という発言は外国人にはNG
- お互いの信仰する宗教に敬意を払うことが円滑なコミュニケーションには重要
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!