こんにちはネルです!
今回は、科学哲学者のカール・ポパーによる主張「科学の本質は反証可能性にある!?」というテーマで話をまとめていきます!
参考にした本は、小坂井敏晶『社会心理学講義』と山口周『武器になる哲学』です。
- 真の科学的な主張は「反証可能性」があるかどうかで判断できる
- 反論に耳を傾けることが科学的な態度
- 「科学」という言葉を誤って使っている主張には注意しよう
それでは、順番にポイントをまとめていきます!
科学の本質は「反証可能性」にある
オーストリア出身の科学哲学者カール・ポパーは、科学の本質について以下のように主張しました。
「科学の本質は反証可能性にある」
ここで言う反証可能性とは、「提示されている理論や仮説が、実験などによって反論される可能性があること」という意味です。
つまり、「後の実験によって、その理論が実は誤りであったとわかる”可能性”を残しているかどうか。」
この可能性があることが”科学的”だと言いえるとカール・ポパーは主張しているのです。
反証可能性がある主張の例
ここで、反証可能性がある主張の例を挙げます。
「Aという種の生物はすべての個体が白い」
この主張が100%正しい、絶対に間違っていない、と言い切るためにはどうすれば良いでしょうか。
まずは、すべてのAという生物を調べなければいけません。
さらに世界中のAという個体を調べても、実は観察した個体以外にもAという種は存在し、それが偶然にも黒色の個体であったという”可能性”があるわけなんです。
そして、今存在しているAという個体はすべて白色であっても、将来黒色のAが生まれてくる可能性も否定できないわけなんです。
一方で、この主張を否定することは非常に簡単なんです。
「黒いAがたった一匹見つかった」という事実さえあれば、「すべてのAは白い」という主張を明確に否定できるからです!
このように、反論する可能性が残されている主張こそが、「科学的な主張」だというのが、カール・ポパーの指摘です。
科学的真理は定義からして仮説の域を出ない。命題を満たす全要素の検討は不可能です。
(小坂井敏晶『社会心理学講義 <閉ざされた社会>と<開かれた社会>』より )
反論が不可能な主張は科学的ではない
では一方で、反証可能性がない主張とは一体どういうものなのでしょうか。
それは、たとえばマルクスが唱えた「すべての歴史は階級闘争の歴史である」という主張などです。
この主張に対して多少の違和感を感じても、「反証」をすることは不可能だということがわかります。
なぜなら、歴史というのは過去の話であり、今では明確に調査のしようがないから。
さらに、「階級闘争ではない」という証拠を見つけること自体がそもそも不可能だからです。
反論はできるかもしれませんが、証拠をもって否定する「反証」はできない。
こういった主張は頻繁に見られますが、カール・ポパーから言わせたら「科学的ではない」という主張になるのです。
反論に耳を傾けることが科学的な態度
ここまでで、科学理論というものは「反証できるかどうか」という点にある、という話をしてきました。
これは言い換えれば、「反論意見をしっかりと聞けるかどうかが真の科学的な態度である」ということになります。
そこで、『武器になる哲学』より文章を引用します。
「これは科学的に検証された」などと枕言葉をつけて、主張の正当性を意固地になって訴えるばかりで、反論に耳を傾けようとしない人がいますが、ポパーに言わせれば、そういう態度こそ科学の名に悖るということになります。
(山口周『武器になる哲学』より)
自分の主張に意地になってしまい、反論意見に全く耳を傾けようとしない。
これこそが、「自ら反証可能性を否定している」ことになり、科学的ではない態度ということになるんです。
まとめ
今回は、小坂井敏晶『社会心理学講義』と山口周『武器になる哲学』より、「科学の本質は反証可能性にある!?」というテーマで話をまとめていました!
科学については、別の記事でもまとめたものがあるので、ぜひこちらも見てみてください!
こちらの記事は科学的を盲信する危険をまとめたものです。
- 真の科学的な主張は「反証可能性」があるかどうかで判断できる
- 反論に耳を傾けることが科学的な態度
- 「科学」という言葉を誤って使っている主張には注意しよう
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!