「学問って、そもそも何なのか?」
これまで、そんな疑問を抱いたことはないでしょうか。
「勉強することで、良い大学に行けて、良い会社に入れて・・・。」
なんてことは言いますし、その意味も理解はできると思います。
でもそれは、人間社会にとって学問を習得すると有利だから、ということであって、「そもそも、学問はなぜ社会で重要視されているのか?」という疑問には答えられていません。
では、「学問を学ぶ意味って、そもそも何なのか?」
先日ある本を読んで、その答えが少しわかってきました。
その答えとは、以下の通りです。
「学問は、自然の中から『情報』という不変のもにに換える作業である。」
非常に考えさせられる内容だったので、まとめていってみます!
- 学問とは、自然のなかから「情報」を見つけ出すこと
- 自然は変化量が多く、生き物にとって負荷が大きい
- だからこそ、人類は情報量を”落として”快適に暮らせる都市を作っていった
参考にした本は以下です。
学問とは、自然から「情報」を見つけ出すこと
冒頭の繰り返しになりますが、「学問とは何か?」という答えは以下のとおりです。
「学問とは、自然の中から、『情報』という変わらないものを見つけ出す作業である。」
これだけだと、ぱっと意味はわからないと思うので、補足をしていきます。
まず、自然というのは、「何が起こるかわからないものである。」と言えます。
生き物も無数にいるし、自然災害も起こる。
外にいるだけで、その数分後に何が起こるかなんて、予想することは非常に難しいですよね。
つまり、「規則性がないもの」こそが自然だと言えるんです。
そこで人間は、哲学や科学などの分野で、自然から「法則性」を見つけ出す努力をしてきました。
- 生き物は、食べ物を摂取することでエネルギーを得ることができる
- 地球は、傾きながら太陽の周りを回っているため、季節が生まれる
- 人間は、脳という器官が発達したため、考える能力が高い
自然にいると、何が起こるかわからない。つまり、変数が非常に多いわけです。
しかし、その中から1つに焦点を当てて考えてみると、そこには「変わらないもの」、つまり法則を見つけていくことができるんですね。
その「自然から変わらないもの」を見つけていくことこそが、「学問」というわけなんです。
学問というのは、生きているもの、万物流転するものをいかに情報という変わらないものに換えるかという作業です。それが本当の学問です。
(Kindle位置:1,518)
学問を習得する意義
自然の中から変わらないものを見つけていくことが学問である。
そこから、「学問を取得する意義」もわかってきたように感じました!
学問、つまり自然の中から法則性を見つけることで何が良いのか。
それは、快適に生きていける可能性が上がる、ということです。
学問を全く知らない人は、自然の中で次々に発生する現象に対して、事後的に思いつきで対応していくしかありません。
「なんかよくわからんけど、空から雷が落ちてくるから、逃げよう。」
「この生き物は、こうやって料理すると美味しく食べれる。なぜかわからんけど。」
こんな感じで一人ひとりが個別の気づきで対応していくしかありません。
しかし、学問をして法則性を知っている人は、「自分が経験してないこと」でも、対処することができます。
「この時期は気温と気圧の関係で台風が出やすいから、予め備えておこう。」
「この生き物は、寄生虫がいる可能性があるから、しっかり加熱してから食べよう。」
このように、あらゆることに対して、「適切な対応」をおこなえるようになるんですね。
つまり、学問をしている人は、そうでない人に比べ「有利に生きていくことができる」ということなんですね。
だからこそ、あらゆる現象に対して適切な対応をする能力が高まるように、「学問」は重視されているんです。
「都市より自然のほうが情報量が多い」という意味
この話に関係することとして、最近、別のある本でこんな記述を見たことも思い出しました。
「実は、都市より自然の方が情報量は多いんですよね。」
この文章を見た時、「これは何言ってんだ??」と全く意味がわかりませんでした、、笑
しかし、今なら少しわかるような気がしています。
都市とは、自然を減らして人間が快適に暮らしていけるように整備された区間のことを言いますよね。
「快適に暮らす」ために、人類が学問によって得た知識を生かして、自然の中から不都合なものを消していった状態こそが都市なんです。
だからこそ、暑い時寒い時にも「エアコン」をつけて温度を一定に保てるし、雨風が強い日も、家の中で快適に過ごしていくことができるわけです。
電車も規定の時間で乗れるし、スーパーに行けば、いつでも同じように陳列された商品を同じように購入することができるんです。
自然から不都合な部分を隠している都市は、その分、情報量が少ない。
あらゆるものの変化に右往される「自然」の中にいる方が、変化量・情報量が多い、というわけなんですね。
「子供を育てるには、自然で遊ばせろ」という教え
ここまで「学問」や「自然」のことを考えていくと、「子供を育てるには、自然で遊ばせろ」という昔からの教えの意味もわかってきたように感じています。
都市で遊んでいても、そこには「人間が作り上げた規則性のある情報」ばかりで、学ぶことが少ない。
一方で、自然の中に一歩足を踏み入れれば、そこには「何が起こるかわからない、あらゆる生物や自然の動き」があり、脳がフル回転していくわけです。
そして、特に好奇心の強い子供は、そういった自然の中から、自分ならではの気付きや発見をしていくことに繋がるのではないか、と思います。
今まで、「自然は、人間のメンタルが安定するから良いんだ。」とさらっと考えていましたが、「情報量」という観点から考えると、こんな意味もあったんですね・・・!
学問の真の意味と、自然の中にいることの重要性が少しわかったように感じています!
- 学問とは、自然のなかから「情報」を見つけ出すこと
- 自然は変化量が多く、生き物にとって負荷が大きい
- だからこそ、人類は情報量を”落として”快適に暮らせる都市を作っていった
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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